ジャニーズJr.黄金期の思い出。
だってわたし、ガチガチのJr.黄金期世代。
1998年、わたし小学5~6年生。
それまで、TOKIO好き、KinKi Kidsも好き、この人たちジャニーズっていうくくりのアイドルらしい。かっこいい。
それくらいの認識の、ごくごく普通のテレビ好きの子ども。
「ぼくらの勇気~未満都市~」をきっかけに、”ジャニーズJr.”という存在を知る。
クラスは、KinKiとジャニーズJr.の話題で持ちきり。私はまだ、KinKiの話題にしか乗れなかった。
そして春、ジャニーズJr.のゴールデン番組「8時だJ」が始まった。
その初回放送で、二宮和也というジュニアを目撃する。
あっ、好き。
空前のジュニアブームの中、ジュニアから誰か一人好きな人を選ばないと村八分くらいの時代。
最初は一目で、すっきりとした和風な顔立ちに清潔感のある短髪黒髪、そしてかわいい笑顔に魅かれ、
見進めるうちにぼーっとした冷めたキャラですみっこの階段に座る姿を必死に探して、私がギャップという言葉を知るきっかけにもなった華麗なるアクロバットにキュンキュンして。
誰よりもかっこよくて、おもしろかった。
好きなのは当然だった。
Myojo、Duet、Wink up、POTATO、ポポロ、Mannish。
アイドル雑誌は全部チェックして、お気に入りはお小遣いで買って、祖父がとっていたスポーツ新聞ももらって、切り抜きを溜め込んで。
BSが観れた祖父母の部屋で、頼み込んでMJを見せてもらい。
「二十六夜参り」を見て号泣、古いVHSに録ったらしく録画状態が悪くてまた号泣し。
チャンネルがないテレ東系の愛Loveジュニアを見ることに憧れ、田舎を嘆き。
我が地方では深夜にやっていた京都ビストロジャーニーや熱血恋愛道のために予約録画を必死で覚え。
KinKiやV6、カミセンのバックにつくニノを見るために先輩の出演番組も追い。
KinKiのHappyHappyGreetingでニノがコーラス参加したと聞けばCDを借りてニノの声を聴き分け。
親に隠れて22時からの「あきまへんで!」を見て。
デビュー前、キャラ変に戸惑いつつもやっぱり変わらず大好きで。
もうね、思い出しかない。
泣いて頼んで入れてもらった
\ジュニア情報局/
泣いて頼んで買ってもらった
\ジュニア名鑑/
友達に借りパクされて泣いた
\素顔2/
ほんと、人生が変わった。
もう、ジャニヲタ街道まっしぐら。
もともとかっこつけしいな私、嵐デビューの99年に中学生になってからは、それら全部をこっそりとこなして。
漏らしまくりの遅れまくりの情報だったけど、田舎者の子どもなりに頑張ってた。
(そして現在に至る)
そんなJr.黄金期当時の私は、二宮くんが好きなもの、二宮くんと仲がいい人、なんでも好きになった。
小原派と思いきやタッキーとも交流があった二宮くんのおかげで、やっぱり当時はそれなりに存在したタッキーアンチになることもなかったし、
二宮くんが好きな小原君とつるんでた当時若気の至りの化身の桜井君を嫌いになるはずもなかった。
単純にキラキラしたものだけを見ていた私は考えてもいなかった。
圧倒的カリスマの苦悩。
同世代に圧倒的カリスマがいる苦悩。
デビューへの嫉妬。
ジャニーズJr.の醍醐味。
黄金期以降、ジュニアでグループ組んだらずっとジュニアに残って粘り勝ちデビューみたいな流れも出来つつあるけど。
年をとった今、夜会での話を聞いて、やっぱりデビューできない切なさ、若くして去っていく儚さは、ジュニアの醍醐味だよなと思う。
すべてのジュニアを末長く面倒見るタッキーの考えとは違ってくるかもしれないけど。
時代かな。
黄金期の絡みを見ると、あの当時の、純粋に大好きしかなかった楽しい気持ちが甦る。
ラビットトレインは初めて観れた。イケイケな滝翼翔の後ろに、もっさいMAIN。
初めて見たのに、涙が出るほどの懐かしさ…!
これからもっと、黄金期の絡みが増えて、お宝映像をガンガン流してくれるといいなと思った、そんな夜会でした。